長女の大学卒業式で別府を訪問する機会があり、念願の球磨村訪問が叶いました。愛甲さん、遅くなっちゃってごめんね。
改めて地図を広げると別府から一気に行ける距離ではなく、阿蘇山で一泊してから→八代→人吉→球磨村→鹿児島のルートを取りました。
阿蘇山に入ったころから、こんな景色を日々愛甲さんは観ていたんだろうなぁと思うと涙が止まらず・・
時薬というけれど、まだそんな気持ちになれません。
熊本大学周辺は、学生街でした。熊本弁を使った看板などが真新しく、学生街と言えば高田馬場で愛甲さんとよくお散歩したなぁとか、そんな風にも思い出していました。
人吉では、人吉高校と大和一酒造を訪問。人吉高校って文武両道なんですね。たくさんの横断幕や日曜日にもかかわらずブラバンの音楽が鳴り響いていました。
大和一酒造さんはお電話もしてみたのですが週末で定休日でした。
球磨村は大自然に囲まれた穏やかな地域でした。森を眺めながら、この道を通りながら、どんなことを考えていたんだろう?どんな音楽を聴いていたんだろう、そんな風に考えていました。
詳しく谷口さんからお墓の場所等を伺っていたので、迷うことなく訪問できました。
跡形もない家の跡地にまた悲しみが押し寄せました。
お隣の家の親族さんたちがちょうどお参りをしていて言葉を交わしました。中々癒えることのない痛みを共有できた気がしています。
目の前に流れる川はこんなにも澄んでいて清らかでした。こんな景色をいつも眺めていたんだろうなぁ。。いつか案内してくれると言っていたから、その時に案内してもらっていればこんな景色も一緒に眺められたんだろうと思うとまた悔しく。
玉泉洞駅の駅舎はホームも崩壊していて当時のすざましさをまざまざと見せつけられました。
この駅も、愛甲さんや地域周辺の皆さんに愛された場所だったかもしれません。いつになるかわかりませんがまたこの地域が復旧することを心から願います。
球磨川沿いには3年が経とうとしていてもこんな風な土嚢がたくさん積まれている場所が方々にありました。
お墓参りをしたときに偶然にもお墓の前にある家方が出てこられて立ち話をしました。当時、お父様が浸水でお墓の上の方まで逃げて助かったこと、今ある家も屋根まで浸水したことなどお話を伺いました。
そして最後に一勝寺に立ち寄り、春の彼岸前のお忙しい週末に、突然の訪問にもかかわらず森純和尚がお時間を作ってくださいました。位牌に手を合わせることができました。当時のお寺の周りの集落がほぼ屋根まで水没している写真を見せてくださいました。
お墓参りに行けば気持ちが整理できると思っていましたが、それは間違いでした。
いつまでも悔しいし、悲しいです。
それでも球磨村を訪れたことは愛甲さんが、どこかで喜んでくれているに違いない!と信じて、ここからまた日々頑張ろうと思いました。
わたしもアイドル巡礼めぐりのようになってしまいましたが、愛甲さんをしっかりとしのぶことができてよかったです。
またこんな気持ちをこの場でシェアさせていただき、ありがたい気持ちでいっぱいです!この場でまた皆さんと愛甲さんを通じて繋がれたら嬉しいです✨
愛甲さん、また来るね!!
大和一は、令和2年7月の豪雨災害から1000日目にあたる3月30日に新しい店舗での販売と蔵見学(ガイドツアー)を心新たに再スタートしました。
4/6に大和一のリニューアルオープンに行ってきた時の動画をUPいたします。
動画は慣れていないため見苦しいですが、素晴らしいツアーになっていました。
次回は是非体験していただきたいです。