2019年は4月に九州を訪れました。愛甲は仕事に復帰していて、2人の時間が合うのが1日ちょっとだったため遠出は出来ず、鹿児島でセッションすることに。僕は前日に人吉に入り、「鍋屋本館」に泊まりました。窓から見える夜の球磨川が美しく、写真を撮りながらずっと眺めていた記憶があります。
翌朝、愛甲をご実家まで迎えに行きました。ご両親にもご挨拶し、お母さんに手作りのお味噌を頂きました(僕がねだったのですが(笑))。球磨村、そして愛甲のご実家はいつ訪れても静かで美しく、温かく、いい思い出しかありません。
鹿児島セッションでは、リズムボックスに合わせ、いつものようにビートルズ、ローリング・ストーンズ、クリーム、サンハウスなどを演奏、最後の「ノルウェーの森」では、久々に愛甲が歌いました。セッションが終わり、機材を片付けながら、今度はバンドでやろう、とも話しました。実際に4月に東京でセッションする予定でしたが、コロナで延期となってしまい、実現することはありませんでした。残念です…
鹿児島で一泊し、翌朝、鹿児島空港に向かう車の中でビートルズの「ラバー・ソウル」を聴いていたのですが、その中の「ノルウェーの森」が何か、あまりに朝の鹿児島の情景やその場の雰囲気、気持ちとマッチして、2人とも黙り込んで浸ってしまいました。(愛甲も翌日、4月21日のFBの記事で書いています)最後の愛甲が歌ったのもこの曲だったので、「ノルウェーの森」は何か特別な曲になった感じがします。
空港では僕が飛行機、愛甲がバスで岐路につきました。いつものように「また会おう」と握手し、僕が鹿児島空港2階の出発ロビーへ向かいました。こういう時、僕は何となく相手の姿が見えなくなるまで見ていて、手を振ったりするのですが、愛甲は挨拶が済むと割と素っ気なく、スタスタと行ってしまうのです。この時もそうだったと思います。僕は愛甲のそんな所が好きでした。そうだな、また、いつでも会えるからな、と思ったものです。実際は、愛甲と会うのはこの時が最後になってしまいました。そう考えると悲しく、寂しく、やり切れない気持ちもしますが、振り返ると、最後の旅もいつもの通りの楽しく、温かい時間でした。
その時の愛甲の姿や気持ちを忘れなければ、これまでと形は違うかもしれませんが、「また、いつでも会える」のだと思います。愛甲と過ごした時間は素晴らしく、色々なものを僕らにもたらしてくれました。愛甲は僕らの中で生き続け、これからもさらに色々なものをもたらしてくれるのだと思います。
ありがとう、愛甲。また、会いましょう。
これまで、ここ10年の愛甲との交流を投稿してきましたが、これで一区切りとなります。ただ、これからも愛甲に会うため、愛甲の事を思い出し、感じ、考えていきます。ありがとうございました。
"最後の旅"という言葉が辛いですね。
私も、ここ数年は帰省したら誓史に会うのが恒例となっていたので、
帰るたびに、誓史は居ないんだ と思うのでしょう。
谷口さんの投稿を拝見しながら、
田舎の友達からも、誓史は素敵な人生を送ってたんだね。という声があがっています。
今回の豪雨災害では、誓史の件含め、数多くの知り合いが被災し、
ここまで”人生”について考えさせられた事はありませんでした。
小学生の時に鍋ちゃんが担任でなければ、ビートルズを好きになることもなかったかもしれませんし、
このサイトを提供して頂いたビートルマニアの方々と知り合う事もなかったかもしれません。
谷口さんも、こんな山奥の球磨村が思い出の場所になることもなかったでしょう。
そういう意味では、人生は面白い。
(と締めくくりたいですが、今はまだ・・・・)
谷口さんは、愛甲さんと本当にたくさんの時間を過ごし、素敵なFriendshipを築かれていたのですね。 大人になっても続く友情はかけがえなくて愛甲さんは谷口さんといろいろと旅行をしたり語ったりして幸せだったんだと嬉しい気持ちで寄せ書きを拝見していました。愛甲さんのいろいろな表情に接することが出来て癒されています。
大学時代のお友達はいくつになっても、20代のままに接することが出来る貴重な存在だと改めて感じました。