一週間前の5/20、球磨村を訪問しました。
ずっと行きたくて行けていなかった愛甲さんのところに、ようやく会いに行けました。
昔から誘われていたのに遊びに行けなかったことを、悔やんでも悔やみきれない自分がいたのです。
まだまだコロナが完全収束しない中、それでもどうしても3回忌までには行きたいと思っていて。
当日はあいにく小雨でしたが、なんとか墓参と、ご自宅跡まで行くことが叶いました。
墓参の際にはお墓の面倒を普段見ていらっしゃるという方が偶然いらしていて、お話をすることができました。
こんな天気でも、球磨川は碧く美しくて、本当に球磨や人吉の方々はこの川を愛している、誇っている、共に生きているのだということがわかりました。
4月に営業再開した球泉洞も入ってみました。金曜日だったので私が行ったときはお客さんは他に一人しかすれ違いませんでしたが、こんなに本格的な鍾乳洞なのか、と驚きました。村の観光資源として、より多くの人に見てもらえるようになると良いな、と思います。
肥薩線は、この球泉洞付近のみならず、人吉との間の比較的平坦ななところでも、踏切が折れ曲がったまま放置されていたりと、復活への道は簡単ではないことを見せつけられました。それでも廃線ではなく復旧の道を探っているとニュースで見聞きすると、なんとか乗ってみたい、という思いを強くしました。
レンタカーを借りた人吉で一泊しました。
夕食をいただいたお店やレンタカースタッフの方など、横浜から墓参に来たと伝えると、やはり皆さん何らかの被害にあわれているというお話になりました。レンタカーのスタッフの方の一人は、自宅一階から泳いで逃げて、数時間以上救出を待ったという体験をされていました。それでも力強く生きていらっしゃる人と街を見て、愛甲さんどうして遠いところに行ってしまったの、という悲しい思いを強くする一方で、けれどやっぱり生かされている我々ば前を向いて生きていかなければならないんだな、という気持ちにもさせられました。
また、大和一酒造元を訪ね、ご主人ともお話しさせていただきました。高校時代の愛甲さんのお話、私の大学時代のお話など、突然の訪問にも関わらず、お時間を割いていただきました。ありがとうございます。
車で前を通るだけでしたが人吉高校にも行ってみました。
まるでアイドルの聖地巡礼みたいな行動ですが(笑)。
正門周辺には、いろいろな大会の入賞やら大学の合格実績など生徒さんたちの偉業をたたえる幟が数多くあり、また街のあちこちにも高校の幟があったりで、この学校は街にとって誇りなんだな、と感じました。
たった一泊でしたが、愛甲さんの故郷・青春の地で過ごすことができ、あの日以来ずっと中途半端なやりようのない気持ちでいた自分ですが、少しだけ気持ちの整理がついた気がしました。
次はいつ来られるかな、肥薩線乗りたいな、もしコロナも完全に収束したら、いつかサークルの仲間で賑やかに遊びに来たいな、セッションなんかしちゃったりして、などと思いながら、球磨川に別れを告げました。
また、行きます。
以上、ご報告でした。
最後になりますが、今回の球磨村訪問にあたり色々教えていただいた谷口さん、本当にありがとうございました。
球磨村に来られていたのですね。
私はその1週間後にくま川鉄道の撮影に行きました。
友達の家に1泊し、その晩は数人の友達と久々に飲んで楽しみました。
大和一のおかみもそのメンバーの1人です。
九州豪雨で、いろんな想いをもったメンバーが集まりましたが、辛い話はそこそこにめいいっぱい楽しみました。
2年経った今でもこのように愛されている誓史をうらやましく思います。
かわいい人でしたよね。